木彫 「 平 清盛 坐像 」 置物 9

途中途中で間が空いてしまいましたが、これで完成です。


束帯姿であらわしてあります。

 

頭部は高村光雲が担当した楠正成像を参考にしてあります。

清盛 (1118~1181) について

父は平 忠盛。保元の乱で後白河天皇方に加勢して崇徳上皇方に勝利し播磨守に任じられる。平治の乱では藤原信頼、源義朝を破り、武士の最高実力者となる。後白河院政を支え、五十歳で太政大臣に就任。瀬戸内を通じた中国(宋)との貿易を重視し、音戸の瀬戸(広島県呉市)の海峡開削、貿易港の大輪田泊(神戸市)の修造を行った。福原(神戸市)に新都を計画するも頓挫。

清盛と関連人物の略年表

1118 元永元年 清盛生まれる。

1121 保安二年 清盛の祖父、正盛死去。

1129 大治四年 清盛十二歳で従五位以下、左兵衛佐(さひょうえのすけ)になる。白河法皇が死去し鳥羽上皇の院政が始まる。

1138 保延四年 嫡子の重盛生まれる。

1146 久安二年 正四位以下。

1151 仁平元年 安芸守になる。三十四歳。

1153 仁平三年 父忠盛死去。

1156 保元元年 保元の乱勃発。後白河、清盛、源 義朝勢が勝つ。清盛、播磨守になる。

1158 保元三年 大宰大弐(だざいのだいに)になる。四十一歳。後白河上皇の院政が始まる。

1159 平治元年 平治の乱が起こり、源義朝との合戦に勝利する。

1160 永暦元年 源頼朝、伊豆に配流。清盛、参議になる。

1161 応保元年 中納言になる。

1165 永万元年 六条天皇即位。清盛、大納言になる。

1166 仁安元年 内大臣になる。

1167 仁安二年 従一位太政大臣になる。五十歳。重盛大納言になる。

1168 仁安三年 出家する(法名 清蓮、のち静海)。妻 時子も出家する。

厳島神社の造営を申請。

1172 承安二年 娘 徳子が高倉天皇の中宮になる。

1174 承安四年 後白河法皇を厳島神社に迎える。

1178 治承二年 娘 徳子が皇子(安徳天皇)を生む。

1179 治承三年 上洛して後白河法皇の院政を停止し鳥羽殿に幽閉。

1180 治承四年 安徳天皇即位。以仁王の乱を鎮圧したのち六月に福原に遷都。十一月に京に都を戻し還都。

1181 治承五年 高倉上皇死去。後白河法皇、院政を復活させる。

清盛、京の平 盛国の家で死去。