梅彫刻

ここから仕上げに入って行きます。

 

ラジオなど聞きながら一人で仕事をしていると ふと修行時分のことを思うときがあります。梅をやるのは本当に七年振りくらいのもので余計に思い出したのかもしれません。

全然関係のないこともそうで、よく親方が地元の人と話しているのを背中で聞いていましたが、富山では娘さんのことを”タータ”、そして”アネマ”(長女でしょうか)、息子のことを”ボン”(これは他の地域でも言うような気がします)長男のことを”オッサン”と言っていて、性別と第何子かによって呼び方が違っていました。初めはどういうことかわかりませんでしたが、だんだん聞いているうちに前後の内容で理解していったようなもので、違っているかもしれませんが、、、

方言で言えば、富山の中でも西と東で差があり、またちょっとした文化までも違うそうです。西と東で大きな山で区切られていないように思いますが、昔ですから川による区切りで離れるだけ違いが生まれたんでしょうね。

 

地元の秩父でも秩父弁というものがありますが、山深いところなので江戸の古い言葉がそのまま流行に乗らずに(笑) わずか残っているということもあるとかないとか。

京を中心に同心円状に文化などが広がって、違う方角でも距離が同じくらいのところに似たような文化があるというのを聞いたことがありますが、言葉で言えば明らかに秩父弁と似た言葉、言い回し、イントネーションが、聞いたうちでは埼玉の寄居、深谷、本庄〜群馬、西東京拝島あたりであるようです。

 

 

その人によって違いがあるところの、徐々に幹の表情を出して行きます。意識をして変えないと、どうしても見たもの、やったことのあるものになってしまいます。梅の彫り方も、平成か昭和か、若い頃よりの親方のやり方か、何にしても井波のやり方の一種です。